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偏見、差別のない社会めざそう/ハンセン病問題に関するシンポジウム/都内で厚労省、都など主催

s180207.jpg ハンセン病(メモ)などへの正しい理解を深め、偏見や差別のない社会をめざす「ハンセン病問題に関するシンポジウム 人権フォーラム2018in東京」(厚生労働省、東京都など主催)が3日、都内で開催された。これには国立ハンセン病療養所「多磨全生園」(東村山市)の入所者らと交流を重ねてきた都議会公明党の谷村孝彦幹事長代行と伊藤興一議員が出席するとともに、主催者を代表して高木美智代厚労副大臣(公明党)があいさつした。

■正しい知識 歴史を後世に/「二度と繰り返さない」高木副大臣

 シンポジウムでは、ハンセン病回復者や支援者らによるパネルディスカッションをはじめ、ハンセン病やHIV(ヒト免疫不全ウイルス)をテーマにした演劇の上演などが行われ、約500人の参加者がハンセン病をめぐる歴史や差別問題を考える機会となった。

 主催者あいさつで高木副大臣は、昨年8月に多磨全生園を訪れ、生活資料を見学したことなどを報告。ハンセン病の差別問題について「反省し、二度と繰り返してはならない」と訴えた。

 パネルディスカッションには、国立ハンセン病資料館の黒尾和久・学芸部長を進行役に、藤崎陸安・全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)事務局長、石山春平・全国退所者原告団連絡会副会長、鮎川一信・東京三弁護士会ハンセン病問題協議会委員、酒井義一・ハンセン病首都圏市民の会事務局長らが登壇した。

 藤崎氏は、患者が受けた人権侵害は数多いとして、「人としての尊厳、人間として生きる権利さえ失われ、過酷な生活を強いられた場所、それがハンセン病療養所」と指摘した。ハンセン病回復者の石山氏は、息子が小学生時代に自分のことで偏見にさらされる中、ハンセン病への正しい認識を持ってくれた教員の取り組みで払拭につながった体験を語り、「教育が私たち親子を救ってくれた」と語った。

 一方、弁護士の鮎川氏は、ハンセン病患者の裁判において隔離施設で裁判官や弁護人らが白衣を着用するなど、差別的に実施されたといわれる「特別法廷」に言及。「人権侵害を見逃してしまった歴史を忘れてはいけない」と強調した。多磨全生園の入所者たちと交流が深い酒井氏は「入所者の平均年齢が85歳を超えた。直に話を聞ける時間に限りがあるが、(その先も)ハンセン病の問題を語り継いでいきたい」と思いを述べた。

 このほか、会合では小池百合子都知事や多磨全生園入所者自治会の平沢保治氏があいさつ。沖縄と広島の高校生らによる演劇「光の扉を開けて」が上演され、フィナーレには、楽曲「世界に一つだけの花」を会場一体となって合唱した。

■全療協の藤崎氏と再会 公明都議ら

 ハンセン病患者の名誉回復のため、公明党は一歩も引かずに人権擁護を推進してきた。2001年、国の隔離政策を憲法違反と断じた熊本地裁判決を受け、坂口力厚労相(当時、公明党)は、国の方針を覆し控訴断念の政治決断を導いた。

 またハンセン病の歴史の継承に向けては、都議会公明党の谷村幹事長代行が都と多磨全生園の入所者自治会、全療協の仲介役として、同園の永久保存などを推進。さらに、2016年2月と17年3月の定例会では、都知事の全生園訪問を要請し、約58年ぶりの知事訪問、入所者との面会を結実させた。

 この日、開会に先立ち、谷村幹事長代行と伊藤議員は、高木副大臣、小池知事とともに全療協の藤崎氏と再会し懇談。藤崎氏は、高木副大臣、小池知事のそれぞれの訪問に対し「画期的なこと」と謝意を述べ、「谷村議員が熱心に行動してくれた」と、国や都との懸け橋になったことを改めて評価していた。


 (メモ)ハンセン病 らい菌により、皮膚や末梢神経が侵される慢性感染症。感染力は極めて弱いが、手足の変形など後遺症を残すことがあったため、治療が困難な病と恐れられた。戦後、治療薬が普及した後も、国による患者の隔離政策は1996年の「らい予防法」廃止まで、89年間続いた。(2月7日 公明新聞より)

伊藤こういち行動記録

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